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今でこそガンプラもプラモ文化の一員だけど。

ガンプラが出始めた当初の事を知ってますか?
そんな話を、昔読んだ雑誌を思い出しながらします。

ガンプラ登場が1980年

ファーストガンダム放映が1979年で、人気がなくて
打ち切り43話で終わったことは有名ですね。

そしてガンプラが発売されたのは、そんな43話終わって
半年後の1980年7月だったのです。
普通ならテレビ放映と合わせて、続々キット化されそうな
ものですが、最初は違ったのです。

そして、ガンプラブーム&劇場版でガンダムが大ブームに。

一回死んだガンダムが蘇って、ブームとなったのです。
一つ間違えていれば、その辺の変なロボットアニメで
終わってた可能性もあるのです。

で、今回のポイントですが
ガンプラが出始めた当時の話です。

今でこそガンプラ専門のプロがいるけど

今は、ガンプラをはじめロボットアニメ系プロモデラーは数多く居ます。

しかし

ガンプラ発売開始当初ガンダム専門のプロモデラーなんて居ませんでした。
最初の最初は前例も無いのでガンダムプロなんて居なかったのです。

じゃあ、ガンプラを誰に作って貰うの?

答えは簡単です。

既存のプロの頼む!

既存のプロモデラーって何?

それは、戦車、戦闘機、戦艦、車、バイク等を専門に作ってたプロです。
お城とか、精巧なジオラマを作るプロモデラーにも依頼が来てたらしいです。

プロの中には
「ガキの玩具のプラモなんて作るかよ!」
という事で断っていた人もいるとか。

しかし、仕事ですから作成した人もいるわけで
そういう人が作ったガンプラがどんなものか?

これが凄い。

出来が凄い。

戦車チックでミリタリー感が満載のザクが作られたり

ジオラマも合わせてアニメのシーンを再現したり

高レベルのガンプラが雑誌等で紹介されたのです。

こうなると、当時の子供は大興奮!

真似をします。

当然同じように作れるワケがありません。

失敗を重ねながら、諦めた人。

それでも諦めず、それなりに作った人。

色々あったでしょう。

ちなみにこの話、40代のガンプラ直撃世代の知人も体験してました。
当時は、殆どの子供が通った道ってワケです。

同じザクを2個買おうとして親に怒られたとかw

雑誌を真似して、ニコイチ改造をしようとしたとか。

子どものころ出来なかった事を今お金を持ってる今
やるのも夢がかなって良いかも知れません。

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